週刊少年ジャンプで1999年に連載を開始し世に壮絶なテニプリブームを巻き起こした「テニスの王子様」。連載は2008年に終了したものの現在はジャンプスクエアにて続編である「新テニスの王子様」が連載されている。この記事では前者のテニスの王子様の最終回で描かれたことを振り返ってみようと思う。
Dear Prince ~テニスの王子様たちへ~
上記がテニスの王子様の最終回のタイトルである。場面は全国大会決勝・青春学園VS立海大付属中、2勝2敗で回ってきたシングルス1越前リョーマVS幸村精一の試合終盤。
天衣無縫の極みに目覚め5-4とリードする越前はマッチポイントで打球をワイヤーに当てて真っ二つにする技・サムライドライブを繰り出すが、半分になったボールを両方とも幸村が返球したところから始まる。
出典:テニスの王子様 第42巻 134-135ページ 著者:許斐剛
最終回だけに試合の決着は早く、直後リョーマは返ってきたボールを両方共スマッシュして勝利し青春学園は全国大会での優勝を果たした。表彰式やリョーマの胴上げなどが歌詞と共にハイライトされていく。
海堂が部長に
桜咲く校庭に佇む桜乃が持っているかばんには「2年1組 竜崎桜乃」と書かれており場面は翌年の青春学園へ。桃城が部長になれなかったことと海堂が部長となったことが明らかになり、練習中に私語をしていた堀尾・カツオ・カチローの3人にグラウンド10周を命じる。
しかし「桃ちゃん先輩部長になれなかったのに気合い入りすぎだよ」というカチローの発言が気になる。「部長じゃないのに」ではなく「なれなかった」という発言にはなにかしら意味があるのだろうか。選挙とかアンケートで部長を選んだのだろうか。
まぁ先代の部長が手塚(ムチ)で副部長が大石(アメ)だったことを考えれば海堂(ムチ)が部長で桃城(アメ)が副部長でいいのかもしれない。よくよく考えると桃城はレギュラーを外された際しばらく練習をサボっていた時期もあったし。
しかし海堂は「海堂部長」と呼ばれているのに桃城は「桃ちゃん先輩」のままのため案外副部長でもないのか?まさか荒井先輩が・・・w たぶん副部長は桃城だけどもともと「桃ちゃん先輩」と呼ばれるくらい仲が良かったため呼び方が変わらなかったのだろう。
そしてリョーマはアメリカへ
「アイツ今頃どうしてっかな」と空を見上げる海堂と桃城の視線の先には飛行機が。そしてアメリカの国旗。どうやらリョーマはアメリカへ渡った様子。2年生になった桜乃が空を見上げていたのはリョーマの乗っていた飛行機を見つめていたのだろう。
しかし日本に戻ってきて1年でまたアメリカへ行ってしまうとは。1巻を振り返ってみると「アメリカのJr.大会で4連続優勝の天才少年で何年かぶりに日本に戻ってきた」とだけ言っているのでもともとその予定だったのだろうか。
それとも父親の南次郎は気分屋なので「もう日本飽きたしよくね?」とかなったのだろうか。国内で引っ越すだけでも大変なのに1年ごとにアメリカ→日本→アメリカって引っ越すのはもっと大変だろうに。
俺にもテニス教えてくんない
そして最後までツッコミどころを提供し続けてくれるのがテニスの王子様。アメリカへ渡ったリョーマの前には「オレ達プロ級テニスの邪魔だ」と子供をいびる3人の大人たち。
リョーマはいつもどおり「俺にもテニス教えてくんない?」と不敵な笑みで語りかけるわけだが、そもそもどうしてコンクリート打ちっぱなしのこんな場所をテニスで取り合っているのか。リョーマもリョーマでなんでそこに行ったのか。大人たちもプロ級ならテニスコートに行けよ。というか隣に小さく見えるのはテニスコートじゃないか。
出典:テニスの王子様 第42巻 153ページ 著者:許斐剛
最後まで楽しませてくれたテニスの王子様でした。
新テニスの王子様の1話目へ
ちなみに新テニスの王子様ではU-17選抜という本来高校生の合宿に異例にもリョーマたち中学生が呼ばれることになるのだが、結局リョーマは日本に帰ってくることになるわけで。なんて忙しい主人公だ。時差ボケつらいんじゃないか。
どうやらリョーマは全国大会の3日後にいきなり姿を消したらしい。ただし手塚だけは「どうだった越前アメリカは」と語りかけていることからリョーマの行った先を知っていた様子。
こんな感じで新たなストーリーに突入したテニスの王子様。今度の合宿も終了後はリョーマがまたアメリカへ行くのだろうか。